そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

当サイトおすすめ映画直近の4作品

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あさがくるまえに

監督:カテル・キレヴェレ

(ネタバレしても問題ない)のでよく知って見るべし。シンプルなのに情感豊か。

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ブランカとギター弾き

監督:長谷井宏紀

(ネタバレ)映画はシンプルなのに物語は深い

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残像

監督:アンジェイ・ワイダ

アンジェイ・ワイダ監督の遺作、心に残る映画です!

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午後8時の訪問者

監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ

(ネタバレ)ダルデンヌ兄弟、相変わらず隙がなく完璧!

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映画「君はひとりじゃない」(ネタバレ)ある意味、今の日本が抱える病理をあぶり出す「Body/Cialo」

一昨年2015年ベルリンの銀熊監督賞受賞作がひっそり(?)と公開されています。ひっそりと言うのもなんですが、あまり注目されているようにも見えません。

でも、こういう映画がなくなって(見られなくなって)しまうというのも悲しいことで、それこそ、いま日本のメジャーで公開されている「作られたドラマ」、アニメが典型なんですが、生きている人間の感じられない、ただ「ストーリーのみ」の映画ばかりになってしまうというのもやるせないことです。

 

監督:マウゴシュカ・シュモフスカ

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ヤヌシュと娘オルガは母親を亡くし2人で暮らしている。検察官であるヤヌシュは妻の死後、人の死体をみても何も感じなくなっていた。一方、オルガは心を閉ざし摂食障害を患っていた。見かねたヤヌシュは彼女を精神病院へ入院させ、霊と交信するというセラピストのアンナと出会う。アンナとヤヌシュとオルガの3人は手と手を取り合って交霊を始める。(公式サイト

 

言葉で説明できないからこそ映画、という映画です。

 

上にも少し引用しましたが、公式サイトでも「ストーリー」を書くのに苦労したことでしょう。

 

父親ヤヌシュ(ヤヌシュ・ガヨス)、娘オルガ(ユスティナ・スワラ)、そしてセラピストのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)が主たる登場人物です。

 

たとえば、公式サイトには、

検察官であるヤヌシュは妻の死後、事件現場で人の死体をみても何も感じなくなっていた。一方、オルガは心を閉ざし、摂食障害を患っていた。母親を失った今、ヤヌシュはそんな娘にどう接して良いか分からず2人の溝は深まっていた。

と、あたかもこの父娘は母親の死の喪失感に囚われてもがき苦しんでいるように書かれていますが、亡くなったのは6年前ですよ。

 

娘オルガは確かに引きこもりで拒食症ですが、映画は母親の死が原因であるとはっきり語っているわけではありません。むしろ、オルガが拒絶しているのは父親であり、それも拒否反応を起こすわけでもなく、もう少し漠然としたものです。

 

一方のヤヌシュにしても、映画は、死体に何も感じなくなった原因は妻の死などとは語っていませんし、そもそもヤヌシュが死体に何も感じなくなっているかどうかもはっきりしていません。ただ単に仕事上の慣れと見えなくもありません。

 

何が言いたいかといいますと、引きこもりにはこういう原因がある、拒食症になったのはこういうことがあったからだ、あるいは死体を見ても平気でいられるのは異常であり、何か原因があるはずだと、因果関係を作り、物語を作って、ああなるほどと納得しようとすることで何かを見落としているのではないかということです。

 

冒頭のシーンが象徴的です。

 

川辺で(だったと思う)で男が首吊り自殺をしています。ヤヌシュが現場検証をし、同僚たちと自殺だろうと話し込んでいますと、その男はやおら立ち上がり歩いて行ってしまいます。ヤヌシュたちはただその男を見つめるだけです。

 

これをどう説明できるでしょう?

 

説明できないことを説明してもしかたありません。説明できなくても心に残るからこそ映画です。

 

もうひとりの主たる登場人物アンナは霊感が鋭く死者と交感できるようです。

しかし、アンナにも心にぽっかりと空いた大きな穴があった。息子を亡くしていたのだ。今、彼女を待っているのは大きな犬・フレデクとの暮らしだけ。気丈にふるまっているものの、やはり大きな喪失感を抱えて日々を暮らしていた。

 

アンナという人物にしても、子どもを亡くし、ひとり寂しく犬とともに暮らし、(あるいは)それゆえ霊感をもつことになったとの人物像は実に分かりやすいでしょう。

 

でも、それが間違っているかどうかも含め映画を見てもよく分かりません。実際、拒食症の少女たちを集めたセラピーのシーン、職場との行き来の様々なシーン、母親を騙しているシーンなどなど見ていても、一体どういう人物なのかよく分かりません。

 

そうなんです。この映画の登場人物は皆よくわからないんです。と言うよりも、この世の中、原因と結果が直結している人間などひとりもいないということです。

 

そして、そうした不可解さがラストシーンですべて氷解するのです。

 

ヤヌシュ、オルガ、そしてアンナ3人が母親と交信しようとテーブルを囲み手を握り合って降霊術を試みます。しかし、一向に霊は降りてきません。アンナがヤヌシュに「疑っているでしょう」と責めたりするも変化はなく、そのうち、アンナがいびきをかいて眠ってしまいます。

 

そして、朝、それまで暗く落ち込んでいたオルガとヤヌシュの顔に朝日があたり、黄金色に光り輝き、二人は互いに見つめ合い笑い始めるのです。

 

重くつらい時間が、ある時一瞬にして、理由もなく消え失せ、肩の荷が下りるように「体」が軽くなったのでしょう。

 

結局、理由などなく、ちょっとした心の変化で世界が違って見えることがあるということです。

 

ちなみにこの映画の原題は「Body/Cialo」です。それを「君はひとりじゃない」とせざるを得ないことに、あるいは今の日本のある種の病理がひそんでいるのかも知れません。

 

むしろ、ヤヌシュとオルガは、あらためて「ひとり」だと実感したからこそ、過去を断ち切ることが出来、互いを認めあって笑い合うことができたのでしょう。

 

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