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そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

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映画「沈黙‐サイレンス‐」 遠藤周作「沈黙」をマーティン・スコセッシ監督が映画化!

映画

遠藤周作著『沈黙』

中学生の頃に読み、涙が止まらなかったことを記憶しています。「踏み絵」のシーンは、もちろん映像的なものを見たわけではありませんが、不思議とイメージとして記憶しています。

それだけ強い衝撃を受けたのではないかと思います。

ただ、それ以外の細かいところはほとんど記憶していませんので、原作を読んで見た映画はガッカリみたいなことはないだろうとは思うのですが…。

 

監督:マーティン・スコセッシ

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17世紀江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。宣教師のロドリゴとガルペはマカオから長崎へと潜入する。日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。守るべきは信念か、目の前の命か。追い詰められた彼の決断とは―(公式サイト

 

そういえばマーティン・スコセッシ監督は、「最後の誘惑」というイエス・キリストの映画を撮っていますね。これ、映画は見ていないのですが、ピーター・ガブリエルのサントラは持っています。なぜ映画も見ていないのにサントラだけ(笑)?と自分でも不思議ですが、当時ワールド・ミュージックというジャンルが流行っていたからかも知れません。

「最後の誘惑」は、イエスを苦悩する人間として描いていたため、公開当時、キリスト教の保守派から相当批判や抗議を受けた映画ですが、この「沈黙」と考え合わせてみれば、スコセッシ監督は、信仰における究極の苦悩といった点に強く興味を持っているだろうと思われます。

その点では、28年前に原作と出会い映画化を考えていたという話も、社交辞令や宣伝文句ではなく本当のことなんでしょう。原作は13ヶ国語に翻訳されているそうです(ウィキペディア)。

 

で、映画ですが、以下、あまり褒めてはいませんし、ネタバレもあります。ただ、162分、2時間40分という(今では)長い部類の映画ですが、最後までしっかり見られる映画であることは確かです。

 

一番の問題は、宣教師ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)の苦悩の表現が映画的に物足りないということです。

 

ロドリゴの苦悩は、自分に加えられる肉体的苦痛じゃありません。自分が信仰を捨てなければ、目の前の信者が傷つけれられ苦しみのうちに死んでいくことを見せ続けられるという苦悩です。

宣教師として人を救うべき立場である(間違っているかも)自分が、その立場にあるがゆえに人を傷つけているという、矛盾した存在であることを突きつけられ、自己が引き裂かれるという状態です。

それを映像としてどう表現するかが、この原作を映画化する肝ではないかと思います。その点、残念ながら私には人間存在にかかわる苦悩を感じることはできませんでした。

 

ロドリゴが踏み絵を踏む際の画(映像的な描き方)も、あっさりといいますか、すでに日本人の隠れキリシタンたちが踏み絵を踏むシーンが幾度も出てきますので、それと同じようなカットではロドリゴの決断の重さが伝わってきません。

 

そして、転んだ後のロドリゴ、原作ではどうであったかは全く記憶していませんが、映画では、日本名をあてがわれ、日本人の妻とともに生き、やがて亡くなるのですが、妻が棺桶の中のロドリゴにこっそり十字架を握らせることで、神を捨てていなかったという表現になっていました。

 あるいは、転んだ後のロドリゴが一貫して穏やかな表情で撮られていましたので、ある種日本的「悟り」とキリスト教的「神」の調和的な表現かもしれませんが、転ぶ前の苦悩が軽いがゆえにかなり安易なものに感じられます。

 

この映画、ロケ地が台湾とのことですが、なぜ日本で撮らなかったんでしょう?

以前、何かで日本のサポート体制の弱さみたいな記事を読んだ記憶がありますが、それが本当なら残念なことですね。ともかくも、やはりどことなく違和感のようなものは拭えません。

 

プロダクション・デザイナーなのか美術監督なのかは分かりませんが、ビジュアルイメージの責任者の想像力に広がりがないような気がします。当然(天才以外の)人間のイメージは過去の蓄積から生まれてくるわけですから、日本で生まれ、日本で育った人間の「日本」のイメージの広がりから見ますと、ワンパターンな「日本」だなあと感じます。

 

それはロケ地やセットだけのことではなく、登場する日本人が生き生きしていない感じがします。もちろん迫害を受けているわけですから重く暗いのはそうなんでしょうが、苦しい時ほどぎらぎらするとか、隠れてやる時ほど生き生きするとか、そういうことってあるように思いますけどね。何だかみんな死んでるような感じがしました。

 

キチジローは、「転ぶ→救いを求める→裏切る」を繰り返すわけですが、踏み絵のシーンが繰り返されているだけと感じると同様に、苦悩といいますか後ろめたさといいますか、何かそういう蓄積されていくものが感じられず、同じシーンが繰り返されているような印象を受けます。

 

皆、もっと自由に演じればいいのにという感じがします。許されないのでしょうか?

 

ただひとり、イッセー尾形だけは好きなようにやっていましたね。的確であったかどうかは微妙ですが、唯一、存在感を示していました。

 

ということで、ほとんど良いことは書けませんでしたが、最初に書きました通り、きちんと作られていることは間違いなく、ただ個人的には、このテーマはこうしたオーソドックスな手法ではなく描いたほうがいいのではないかと思うだけです。

 

最後の誘惑 [Blu-ray]

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パッション-最後の誘惑

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