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そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

当サイトおすすめ映画直近の4作品

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監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ

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たかが世界の終わり

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「裸足の季節/デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督」10年の時間が感じられず、なぜこの事件が今突然起きる?と不思議でならない

映画

乱暴な映画だと思います。

10年前に両親を亡くし、祖母と叔父の家で、自由にのびのびと育てられてきた(としか見えない)5人姉妹が、学校の帰りに海辺で男子生徒たちと肩車をしたりして水遊びしたことが不純行為と咎められ、その日から突然(としか見えない)、祖母と叔父によって、幽閉状態のような環境に置かれるところから物語は始まります。

祖母や叔父は、なぜ、10年間、彼女たちを自由奔放に育ててきた(としか見えない)のに、突然、その考え方を変えたのでしょうか?

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トルコの小さな村に住む美しい5人姉妹の末っ子ラーレは13歳。10年前に両親を事故で亡くし、いまは祖母の家で叔父とともに暮らしている。姉妹たちは、ある日、古い慣習と封建的な思想のもと一切の外出を禁じられてしまう。「カゴの鳥」となった彼女たちは、自由を取り戻すべく奮闘するが、一人また一人と祖母たちが決めた相手と結婚させられていく。そんななか、ラーレは秘かにある計画をたてる……。(公式サイト

 

もし、祖母や叔父が、その後彼女たちに示すように、この10年間イスラム規範に則って厳格に育てようとしたのにもかかわらず、冒頭からのシーンで見られるように、彼女たちが自由奔放に育ったとするなら、この映画の事件(?)は、10年を待たずして起きていたはずです。

 

つまり、この5人の姉妹にも、祖母にも叔父にも、全く10年の年月が感じられず、あるところには、こうした自由を抑圧する環境があるんだよと言っている静的表現があるだけで、その抑圧が何故に生まれ、どのように行われ、その抑圧の中で人はどう生きようとし、どう行動するのかといった、動的な視点が感じられないということです。

それを「乱暴」と表現したわけですが、なにも、10年を事細かに説明する必要があると言っているわけではありません。わずかワンシーン、ワンカットでも、ある人物の10年を表現することが出来る、それが映画というものではないかということです。

 

同じような描き方が随所にあります。

姉妹たちが暮らしている村は、自由な街(と象徴的に言われている)イスタンブールから1,000kmも離れた、イスラム規範が支配する保守的なところとして語られていますが、女性たちだけのサッカーの試合鑑賞に、村からチャーターバスが出たり、そのバスの中のハイテンション模様を見ても、とてもそうした保守的な村とは思えません。

しかし、一方、祖母を含め、料理やら裁縫やらの花嫁修業を教える女性たちは、ヒジャブで顔を隠しイスラム規範を守っているようにみえます。

とすれば、その女性たちは、あのバスの中のあの若者たちの家族であると考えられ、そうだとすれば、姉妹たちに起きたこの映画の事件は、あの村のどこにでも起きることであり、さらに言えば、繰り返し起きてきたことだと思います。

一般的に言えば、不都合なことも繰り返し起きれば、良くも悪くも、それは社会として乗り越えられていき、問題とはならなくなるでしょう。

 

また、長女には相思相愛の男性がいるわけですが、その男性が道路に「愛しているソナイ(違うかも?)」と落書きできる社会であり、無理やり行われた見合いの席でも、長女が大声を上げれば意中の男性と結婚できる社会であるなら、一体何が問題なのか(長女に限って)と言いたくなります。

 

叔父の性的虐待ももうひとつ腑に落ちません。

というより、その扱いが適当過ぎます。三女がそのことで自殺し、その後すぐに四女を同様に扱おうとした叔父とするなら、なぜ、この10年間、長女、次女はその犠牲にならなかったのでしょう?

あるいは、次女はその犠牲者として描かれているようにも見えますが、いまいちはっきりしません。長女にはその影は全くありません。恋人との逢引き(古い?)を重ねても、私はまだ処女よ、後でやっているから妊娠もしない、と言い放っているわけですから。

いずれにしても、この性的虐待にしても、物語の展開上の一要素として持ち込んでいるだけのような安易さを感じます。

 

ということで、女性たちにとって、こんな抑圧的社会がある、こんな性暴力がある、と語ってはいても、それがストーリーの一要素として盛り込まれ(利用され)ているだけで、見るものにそのリアリティを伝える映画的力が感じられないということです。