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そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

当サイトおすすめ映画直近の4作品

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ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気

監督:ピーター・ソレット

エレン・ペイジのアップになるたびに涙が流れて…。もちろんジュリアン・ムーアもいいのですが。

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みかんの丘

ザザ・ウルシャゼ監督

この寓話的真実で争いがなくなることはないにしても、この寓話的真実を理解できなければとっくに世界は終わっている。

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アスファルト

サミュエル・ベンシェトリ監督

人生あれやこれやいろいろあってもまだまだ捨てたものじゃないと気持ちが和らぎます

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ラサへの歩き方 祈りの2400km

チャン・ヤン監督

ただひたすら無心で五体投地、地にひれ伏し他者のために祈る人々が美しいです。

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最新記事

「ボーダレス ぼくの船の国境線/アミルホセイン・アスガリ監督」川べりの廃船、そこへ素潜りで行き来し魚や貝で生活の糧を得る少年、設定は大いに期待をもたせるのだが…

映画

イラン映画を見始めたのは、ご多分にもれずアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」からですが、振り返ってみますと、そのままイラン国内の映画事情を反映しているのかどうかは分かりませんが、イラン映画というのは作家性の強い作品が多いですね。

そうしたところが日本やフランスで受けるのだと思いますが、この「ボーダレス ぼくの船の国境線」もかなりその傾向が強く、監督の意図が明確に現れた映画です。

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舞台となる船が浮かぶのは、イランとイラクの国境付近の川。それぞれペルシャ語、アラビア語、英語を話す登場人物たちは、最初から最後まで言葉によるコミュニケーションをとることができない。1980年代のイラン・イラク戦争後、今もなお紛争が続く中東の厳しい現実がリアルに描かれる一方で、時代設定や彼らの国籍、年齢について、映画は多くを語ろうとしない。異なる世界を生きる人々の言葉を越えた交流は、まるで現代の寓話のように私たちの心に強く訴えかける。(公式サイト

登場人物は三人、イランの少年、イラクの少女、そしてアメリカ兵です。公式サイトに「 プロの役者でなく地元に住む素人の子供たちを起用」とありますが、この少年を演っているアリレザ・バレディくんがそうなんでしょうね。

目鼻立ちのしっかりした、いわゆる濃いい目の顔立ちのせいもありますが、眼力もありますし、動きもよどみなく、存在にリアリティがあります。

映画の設定場所は国境線の川べり、少年が自転車で葦が生い茂る砂利道をやってきます。茂みに入ったかと思うと、少年は上半身裸になり、紐でしっかり縛ったビニール袋を持ち、水の中に入っていきます。そして次のカット、少年が苦しそうに水の中から浮き上がってきます。そこは対岸に見捨てられた廃船の中です。

船窓からは、鉄条網が張り巡らされ、その向こうを国境警備隊(アメリカ兵?)が行き過ぎる様子が見えます。

つまり、少年は、国境線の危険(と立て札のカットがありました)な地域に見捨てられた廃船に素潜りで行き来し、そこで釣った魚を塩漬けにしたり、採った貝殻で首飾りを作り、生活の糧にしているのです。

映画は、しばらくその様子を見せるのですが、彼が一体どういう生活をしているのか、家族と一緒に暮らしているのかなど一切語られません。夕方になると、彼は元の場所に戻り、さかなや首飾りを露天のような店のおじさんに渡し、お金を受け取り、どこへともなく去っていきます。

少年のリアリティゆえなんですが、この出だしのシーンがいいですね。

廃船の中の廃墟っぽさやその中を我家のごとく動きまわる少年の活発な動き、そして廃船の中と葦の茂る川辺の画の質感の差、これは少し説明を要すると思いますが、廃船の中はセットでの撮影でしょうから当然画は明瞭な印象になりますし、川辺はロケでしょうから、フィルムでなくとも多少ぼんやりと間遠い感じになります。

この落差が(私には)よく効いています。つまり、廃船の中の出来事が舞台劇のような印象となり、この物語が寓話的なものであることを視覚的に分からせてくれます。

と、理屈を言えばそういうことなんですが、なぜそこに引っかかるかといいますと、あの葦の生い茂る川辺の露店のシーン、もちろん台詞などありませんし、音楽もあったかどうか、ただ少年とおじさんが物とお金をやり取りし、少年が去っていくあのシーン、ただそれだけなのに、なぜか私には印象深いんです。なぜあの場所に店がある?のツッコミ無用です(笑)。

で、物語は進み、その廃船にイラク側から一人の少女が逃げ込んできて、あれやこれやあり、ある日突如赤ん坊の鳴き声が響き、少女が連れて来ているのだとわかり、あれやこれやあり、次にひとりのアメリカ兵が、多分敵前逃亡でしょう、逃げ込んできて、あれやこれやあり、そしてラスト、ある日少年が廃船にやってきますと、船内はあれやこれやになっており、二人がいなくなっているというお話です。

あれやこれやなどと書いているのは、ネタバレしないようにというわけではなく、設定が分かりさえすれば、その先の展開は、割と想像通りのものだということです。

映画が明確な答やメッセージである必要はありませんし、むしろそんなことをしたら台無しになってしまうものですが、この映画のエンディングは少しばかり曖昧過ぎますし、厳しい言い方をしますと逃げています。

特に、アメリカ兵に独白で自分自身を語らせるところなど、台詞の内容や俳優の力量に問題があるのかもしれませんが、正直勘弁してほしい感じがします。少年と少女のシーンまではこの先どう展開していくんだろうとの期待ももたせますが、さすがにアメリカ兵の素性を明かした後は、一気に寓話の象徴性もしぼみ、白けたものになってしまっています。

あらためて考えてみれば、そもそもイラン、イラクの国境線にアメリカ兵という設定はいつの時代のどの状況を象徴しているのでしょう? イラク戦争時というのが一番あり得る状況ですが、それを、戦争で家や家族を失ったイラクの少女と赤ん坊、そして、その少女はアメリカ兵を憎んでいるが、アメリカ兵も自分の子供の写真を少年に見せ、自分は何をやっているんだと嘆き悲しみ、やがて少女の憎しみも消えていく、と描いているとすると、その先に見えるものは一体何なんでしょう?

正直、日々のニュースを見ているだけでも、もっと感じることは多いです。

国境線に見捨てられた廃船、そこを生活の一部としている少年、そこに逃げてくる向こう側の少女、この設定は大いに期待させるものがあり評価もしますが、結果として、この映画は、寓話としての象徴性を最後まで維持させることができなかったということになります。