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そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

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「やさしい人/ギヨーム・ブラック監督」イヴァンがマクシムを侮辱する言葉に「ロリコン」と字幕がついていましたがあれは正しい?フランス語で何と言っていたのでしょう?

映画

いやあ、あまりにリアルで、その上シリアスで、見ていてつらくなるような映画でした(笑)。中年というほどではありませんが、自分はまだ青春と思っているのにいつの間にか人の目にはそうは見えなくなっている、そうした年代の男の失恋物語です。

今年の初めに「女っ気なし」「遭難者」を見た時には「無茶苦茶趣味です!」と、大感激!しながらも、そのにじみ出るような切なさにややどんよりとしたのですが、この映画は、そのものずばりの直球勝負で、前作にあった滑稽みが(表面上は)ほとんど消えており、心臓にぐさりとくるような切ない映画でした。

前作は北仏の小さな港町オルトが舞台でしたが、今回はブルゴーニュ地方のトネールという山間(というほどでもない)の小さな町と対照的ではありますが、多分ギョーム監督はこうしたちょっと寂れたロケーションが好きなんでしょうね。原題は、ずばり町の名前「Tonnerre」です。邦題の「やさしい人」ってのはどこから出てきたんでしょう? ひねっているとしたらひねりすぎ、ひねっていないとしたら観客をなめすぎ(笑)ですね。

冒頭に誰もいない夜の石畳(だったかな?)の町並みが何カットかありましたがとてもきれいでしたし、季節も前作と対照的に冬ですので雪のシーンが多く、町並みや川なのか湖なのか、ロングショットの画も美しかったです。そういえば建物やら風景やらのカットがたくさんあったような、今から思えばご当地映画の赴きも感じられます。

ville-tonnerre.com これが町のサイトなんでしょうか、2枚目のスライドのフォス・ディオンヌ La Fosse Dionne はマクシムとメロディが待ち合わせた場所じゃないですかね? あるいは1枚目の川(?)もロケ地かも知れません。

ということで、アニメの聖地めぐりではありませんが、前作のオルト共々、こういう町は本当に行ってみたくなります。

フランス・ブルゴーニュ地方、まもなく冬を迎える小さな町トネール(Tonnerre)。パリから一人の男が、父親の住む実家に戻ってくる。かつてはインディーズでそれなりに名を馳せたミュージシャンのマクシム。人気の盛りは過ぎ、目の前にあるのは、先行きのない未来だけ。ギターを手にしても、でてくるフレーズにはどことなく甘酸っぱさが残るが、若さはもはや過去のもの。
しかし人生にはときに素晴らしい贈り物が差し出される。マクシムにはそれは若い恋人だった。だがそれは、かつてない無情な速さで失われてしまう。突然消えたロマンスを追うマクシムは、人生を揺るがしかねない危うい行動にでる――。
歳をとるのは難しい。いつからが青年で、いつからが中年なのか。老いは少年の心でもってしても、誰にもやってくる。マクシムはその狭間であがき、苦悩する。しかしその苦悩の果てには、父親との間にあったわだかまりを克服し、そして本当に愛することの意味を見出した、大人の男となったマクシムがいるのだった……。(公式サイト

で、映画ですが、この公式サイトの文章、ちょっといやですね。「人生にはときにすばらしい贈り物が差し出される。マクシムにはそれは若い恋人だった。」って、どういうセンスなんでしょう?

まあ気を鎮めて(笑)映画ですが、いきなりマクシム(ヴァンサン・マケーニュ)が薄暗い部屋でひとりギターを弾きながらしょぼくれた感じでぼそぼそと歌っているシーンです。深夜の作曲活動に見えなくもないのですが、なにせ前作のヴァンサン・マケーニュを知っている身とすれば、これはいきなりヤバイぞって感じです。

またも話はそれますが、このヴァンサン・マケーニュさんなくしてギョーム監督作品はないみたいな印象になってきていますが大丈夫でしょうか? 次回作は他の俳優さんで撮らないとほんとヤバイかも…?と余計な心配をしてしまいます。

で、翌朝、といってももう11時なんですが、父親(ベルナール・メネズ)が来客だと未だベッドの中のマクシムを起こしに来ます。このとき交わされる会話がうまいですね。わずか二言三言交わされるだけですが、この父子の関係を説明するではなく、ざっくりとですがうまい具合に分からせてくれます。父子の二人住まいであること、マクシムが最近戻ってきたこと、マクシムは父親をややうっとうしく感じていること、父親はマクシムを気にかけていることなどなど。

で、来客というのは、地元の雑誌記者メロディ(ソレーヌ・リゴ)が、「かつてはインディーズでそれなりに名を馳せたミュージシャン」マクシムにインタビューをしに来たわけです。これが二人の出会いとなり、マクシムは一目でメロディにやられてしまいます。ただ結果としてそうだったと言えるだけで、この時点ではそうした気配は感じられず淡々としたつくりになっており、それが逆に実にリアルで、その後、マクシムがメロディのオフィスを訪ねたり、メロディの通うダンススタジオ(?)に出向き、いきなり奇妙なダンスを踊ったりといわゆる猛アタックするわけですが、これは経験がある人なら分かるでしょう!というくらいのリアルさで、であるからこそ、どきどきひやひやさせられ、なんとも言えない緊張感に満ちあふれています。

その後の展開は、まあそうだよね、仕方ないよね、となるわけですが(笑)、電話をしても出てくれないシーンとか、花束を持って駅へ迎えに行っても列車から降りてこないシーンとか、これ当の本人だったらホント耐えられませんよ。

ですが、実は前半のうまくいっているシーンよりも中盤のこのあたりの方が不思議に見ていて気が楽なんですよ。ヴァンサン・マケーニュさんのキャラクターからでしょうか、あるいはうまくいくわけがないと思って見ているからでしょうか、いずれにしても映画の空気は徐々に変化していきます。

そして後半は、ギョーム監督の前作とは違った一面が見られます。

ちょっとばかり唐突感のあった拳銃と自殺の話、たまたま町で出会ったミュージシャンとしてのマクシムを知っているという男の家での会話が生きてきます。ギョーム監督自身はフィルム・ノワールを意識したみたいなことを言っていますが、拳銃を手にしたマクシムという、ギョーム監督そしてヴァンサン・マケーニュさんというコンビにはおよそ似つかわしくない展開となり、前半とはまた違った緊張感が漂いはじめます。

これ、どうけりをつけるんだろうとやや心配気味に見ていましたが、結果程よくうまい具合にまとまっていました。後半のテンポを上げて展開を早くしていたのがいいですね。結構大変なことをやっているのに噓っぽくなく、マクシムだけではなく、メロディも相手のイヴァン(ジョナ・ブロケ)の涙も、ああみんな人間だなあと妙にリアルさを感じた結末でした。

ラストの父子が自転車で併走するシーンは、冒頭のシーンで無理矢理起こされたマクシムが「それぞれの生活のリズムを尊重しようよ」とライダースーツ姿の父親に文句を言っていたのと対比してみれば、ある意味この映画が父子の映画ではないかと思わせる象徴的なシーンでした。

ところで、メロディの元彼であり、マクシムを振ってよりを戻すイヴァンがマクシムを侮辱する言葉の訳として「ロリコン」が使われていましたが、原語では何と言っていたのでしょう? 年が離れているということでそうした訳にしたのかと思いますが、かなり違和感を感じました。