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そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

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「ニンフォマニアック/ラース・フォン・トリアー監督」見終えてみれば、良し悪しを超えてきっちり見せてくれる監督ですね、ラースは…(笑)。

映画

前編を見たのはひと月くらい前になるんじゃないでしょうか? 後編のことなんてすっかり忘れていました、というより、もう見るのをやめようかと迷っていたんですけど(笑)、公開終了も迫ってきましたので思い切って後編を見てきました。

いやぁ、見ておいてよかったですよ。ラース・フォン・トリアー監督らしく、きちんと帳尻を合わせてくれていました(笑)。

実は、前編を見終えて「このまま延々と八章までこのパターンで続くんだろうか?」とか、「結局、最後に誰かにひどい目にあわされて倒れてたんだろうなあ」などと考えながら、「それにしても、この話、男性が主人公だったらどうなるんだ? 列車の中のシーンなんて完全に犯罪だなあ」と、変なところに引っかかって少しばかり後味の悪さを感じていたんです。

(ネタバレです)
で、どんな帳尻かと言いますと、最後に、ジョー(シャルロット・ゲンズブール)の遍歴を全て聞き終えたセリグマン(ステラン・スカルスガルド)に言わせていました。言い回しは適当ですが「ジョーが男だとしたら、その行為について誰も何も言わないし、何も問題にされないだろう」と、要はセクシャリティさえも男女非対称なんだと正論を語らせ、さらに「ジョーが子供を置き去りにしたと責められるが、それは社会が女性に一方的に課しているものだ」と、結構私が作っている部分もあるかも知れませんが、こんなことも言わせていました。

まあそれで終われば、ジェンダー論の教育ビデオみたいなものなんですが、その後が重要で、ジョーが寝静まったころに、あの正論を尤もらしく語っていたセリグマンが、下半身を露出してジョーのベッドにやってきます。ジョーの着ているものをはがし自分のものをジョーに挿入しようとします。まさにそのように描かれています。「襲う」とかの言葉が似つかわしくないくらいに、セリグマンの行為はまるで自慰行為のように独りよがりで傲慢です。

当然ジョーは拒絶します。それに対し、何とセリグマンは「あんなにたくさんの男とヤッたのに」と、男の本音(?)とも思える、これ以上ないくらい見事なせりふを吐きます。

ということで、前編ではどうなることかと思いましたが、最後は見事に帳尻を合わせ、なおかつ様々な読み取り方が可能な終わり方をさせています。

私は、多分ラースは(笑)、自分が男であることがいやなんだと、そして自分の中に感じる男性性をもてあましているんだと読み取りますが、どうなんでしょう…。

もちろん映画はそれだけではなく、「神」やら何やらいろいろテーマがぶち込んであり、あれやこれやといろいろ解釈を楽しめるようにつくってあります。

前後編でどちらが良かったかなんてどうでもいいことですが、後編の方がジョーの生々しさがなく見やすかったですし、ジョーが山に登って自分の木を見つけるシーンは美しかったですし、痛いシーンもあって(?)映画的にも面白かったです。ジョーやセリグマンの息づかいや唾を飲み込む音まで生々しく採っていたのも印象的でした。

エンディングテーマの「Hey Joe」はシャルロット・ゲンズブール自身が歌っています。