そんなには褒めないよ。映画評

ミニシアター系映画レビュー*沈黙する言葉

映画タイトルの50音順メニュー作りました!

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(ほぼネタバレ)恋に悩む男女におすすめ、大人になるために。

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「FORMA/坂本あゆみ監督」これだけ徹底したものをよく撮れたものだと感心します。多分近い将来見られるであろう2作目で本当の坂本あゆみ監督に出会うことになる…

一概に否定的な意味ではありませんが、非常に疲れる映画です。映像的にも音的にも、そしてストーリー的にも、徹底して、見せないこと、隠すことを押し通し、それにより見る者の意識を集中させ、自ら物語を生み出させようとしているようです。意図しているかどうかは分かりませんが、かなり観客に対して挑戦的な映画だと思います。

私自身、疲れる映画は嫌いではありませんが、できるならば、時間を忘れて見終わった後に「ああ、疲れた」と、それまでの集中を心地よい疲れで振り返りたいものです。私の感覚では、見せないことにおいて、ちょっとばかりやりすぎてる感が強く、かなりの回数、イライラさせられている自分を感じました。まあ、それが狙いなのかとは思いますが。

ただ、最初に書きましたように決して否定的に言おうとしているわけではなく、こうした硬派な映画が、若い監督から生まれてくることには好感と期待を持っています。

ある日、金城綾子は同級生だった保坂由香里と再会する。
綾子は由香里を自分の会社に誘い、由香里は綾子の会社で働くようになる。
しかし、綾子は徐々に由香里に冷たくなり、奇妙な態度を取りはじめる。
次第に追いつめられる由香里。

綾子には、ある思いがあった。
積み重なった憎しみが、綾子の心の闇を深くする。
ある思いを確認するため、綾子は由香里を呼び出す。

交錯する、それぞれの思い…。

そして憎しみの連鎖は、どのような結末を迎えようとしているのか。(公式サイト

今、このストーリーを取ってくるために公式サイトへいってみましたら、イントロダクションに

本作は、音楽や過激なカメラワークを一切用いず製作されたにも関わらず、一瞬たりとも目が離せない、不穏感たっぷりのサスペンスである。
リアリティのある演技、いくつにも張られた伏線、そして描きだされた人間の本性に最後まで目を覆わずに観る事が出来るだろうか。

と、「過激なカメラワークを一切用いず」なんてありましたので、思わず吹き出しそうになりました。相当過激でしょう(笑)。

確かに、映像的には一見シンプルそのもので、ほとんど固定カメラでの長回しで撮られており、数える回数ほどのパンはありましたが、ズームアップもアップの映像もありません。全編ワンシーンワンカットだったかな?はっきりした記憶はありませんが、そんな印象ですね。さらに、俳優が、つまり物語の主たる牽引者がフレームアウトしてもカメラは固定されたままです。当然ながら、スクリーンには俳優はおらず、見えないところで声がするわけですから、一体何がおきているのだ?と考えさせられます。

音は、屋外であれば街の雑踏や電車の通過音、飲食店など室内であれば客の話し声や食器のぶつかる音がかなり高めの音量で使われており、その中に俳優たちの声を埋没させています。聞き取れるかどうか微妙な音量にしてあります。これも当然ながら、一生懸命聞き取ろうとします(よね、普通)。

ただ、せりふが聞き取りにくいことについては、かなり早い段階で、大して重要なせりふはないこと、言葉を介したコミュニケーションに物語を引っ張っていく役割を持たせていないことに気づきます。たとえば、予想もしていない人物が目の前に現れても、「なぜここにいるのか?」と尋ねさせたりはせず、「え!?」「は!?」などと感嘆語を応酬させる程度の会話しかさせず、ストーリー自体も観客の目から隠そうとしています。

といった具合に、多くのことが隠され、何が起きているのか、あるいは何が起きようとしているのかよく分からないまま映画は進み、後半に入ると、ある瞬間から、同じシーンが繰り返されていることに気づきます。ああ、これでやっと説明されるのだ!と期待するも、甘いのです(笑)。新たな人物が登場し、カメラ位置が変わっただけで、手法は全く同じ、さらによく分からない状況は続きます。

そして、衝撃のラスト24分間の長回し

んー、宣伝文句とはいえ、あれを長回しと言いますかね…。盗撮用に置いたカメラの映像だと観客に知らせているわけですからね…、これですと、究極の長回しは防犯カメラの映像ってことになっちゃいますね。(マジで反論しないでくださいね)

期待が大きいだけにいろいろ言いたくなってしまう映画です。

まず、なぜこの手法をとったのか、しっくりくるものが感じられなかったですね。つまり、これが坂本あゆみ監督の手法なのだと感じる前に、たとえばミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」なんてのが頭に浮かんでしまいますし、そもそも、この動かないカメラ位置にいるの一体誰なのだと必然性に疑いを抱いてしまいます。

言い換えますと、カメラに主体が感じられないということでしょうか。基本、カメラは監督の目、引いては観客の目となるわけですが、テクニックとして、フレームからはずれたところでことを起こし興味を引かせる手法はあっても、全編通してそれを貫けば、本来見たいと思う主体であるカメラ=監督=観客から、その主体は離れてしまい、言うなれば神の視点から、私は知っているけれどあなたには見せてあげないよと言っているようなもので、どこか不遜な空気を感じさせるものになってしまいます。

それと、「リアリティ」ということに関しての俳優の演技や会話についてですが、せりふでいえば、上にも書いた感嘆語の応酬みたいな会話は、まさか「ヤバイ」だけで会話が成り立つ(ホントか?)高校生じゃないわけですから、そこに現代の何かが現れているとも思えず、実際、ラスト24分には由香里と綾子はとことん言い合っているわけですから、あまりにも、今ここでは本題を明かすわけにはいかないよという意図が見えすぎてしまいます。

そのラスト24分の綾子と由香里の会話も、ほぼケンカではありますが、やはりもっと練ったせりふにしないとせっかくのシーンがもったいないですね。ああしたものにリアリティがあるという考えもあるのでしょうが、決して、(映画的)リアリティ=日常的ということではないと思いますし、日々見ているものをスクリーンで見ても仕方ありません。

「いくつにも張られた伏線」についても、伏線はその時には気づかなくとも後々ああそうだったのかと納得がいくことであって、決して隠すことで生まれてくるものではありません。

いろいろ書いてはいますが、初っ端からどこか不穏な空気が漂っている作りはとてもよかったですし、夜のシーンが(自主制作の)日本の映画にしてはうまく撮れていたように思います。照明に工夫がされているのかも知れません。

これが初監督作品ということであれば、これだけ徹底したものをよく撮れたものだと感心します。多分近い将来見られるであろう2作目で本当の坂本あゆみ監督に出会うことになるのかもしれません。